院長の思い出
漫々亭
おそらく、漫々亭に初めて行ったのは1984年だと思う。同じクラスのラグビーと野球部の奴らから、「おい、安くて一杯食えるぞ!」といわれ、「え~いくいく」と連れて行ってもらった。そこが、地元じゃなければ知らないだろうというようなお店。そこが大宮西口の漫々亭だったってわけ。それで、オススメでスタカレ丼の大盛を頂いた。当時私はバスケ部で大食いだったから、ペロリで美味かった!。その次に行ったときは、チャーメンを食べてみろという「これが、なんと美味い!」最近では焼きそばというらしいが、当時は「チャーメン」という新しい食べ物だった。チャーハンのことを焼きめしというかい?いわないだろう?チャーメンは焼きそばではないの!チャーメンなのだよ。ところで、何回行ったか分からないが、小遣いで行くわけだから、そんなにはいけない。部活は8時まであったから、試験期間中で早く帰れるときなどだ。そんな時、バスケ部の友と一緒に行ったわけ。ピークは終わっていて、お客は我々2人のみ。
その時代、大宮西口には漫々亭が2店舗あったの。一つは今話している漫々亭が≪漫々亭娘々≫、もう一つが駅前開発中のプレハブ建てで、こっちを≪漫々亭光龍≫と呼んでいたの。理由は、看板にそうやって書いてあったから、光龍は居抜き物件かな?。
で、話は戻るけれど、娘々?漫々亭?どっちなの?と、箸を入れておく陶器製の容器に「漫々亭 娘々」と併記されていたの見て、バスケ部の友と「どっちが正しいんだろうか?」と話していると、お店のマスターが「それは、みんなここで修業したんだよ、ここで修業しないとスタミナの味が出せないから同じだよ・・・」そうなんですか?「それでね、ここが総本山で・・・」という話だった。それで、「どこからきてるの?」と聞くんで、「こっちが木崎瀬ケ崎、僕が産業道路をいって芝・川口です!」。「ああ、それなら 浦高のそばに西風亭シーフー亭というの出した若いのがいてね、良かったら寄って行ってやってくれないかい?、そいつもここでちゃんと修業したやつだから、味は同じで美味しいからさ」ってことで、満腹抱えて、ただ単に寄って「おお~は仕入れが同じだ~」とか騒いで、何も食わず、おしゃべりして帰った「今度は食いに来てくれよなぁ」「わかりました!」でもそれ以来いかなかった。
この話で、重要なのは、「全員が同じ場所?で修行して同じ味」だってこと。最近YOUTUBEで指扇のマスターとお嬢さんが北浦和店でって回があって、「味を変えない重み」を語っていたのが、おお矢島スピリッツの伝承だ!と思った。僕の思い出では、スタミナの餡は赤ではなく、暗い赤・暗褐色?赤褐色?だった記憶。
多分あれが、社長の矢島さんだったと思う。あったのは一度だけだったけれど、髪を短く刈った細めの人だったと思う。で、料理人なのに、なんか静かで上品な感じだった。「そうか、ここが総本山なんだ」って。小学年低学年のころ、浦和郵便局通りの娘々に親父に連れていかれたけれど、濃ゆい味噌ラーメンで、ショッパ。娘々はおいしいとは思っていなかった。当時スタミナなんてなかったような気がするけれど。こないだ指扇まで食べに行ってきたよ、やっぱり、チャーメンは美味いの2乗だ。マスターが「バカ野郎」というらしいが、川口育ちには「ばか」は誉め言葉なんて、皆さんは知らないだろうなぁ。
その大宮≪漫々亭娘々≫では、焼きそばは「チャーメン炒麺」だったから、新種の食い物「チャーメン」が正しいと思う。同様に、スタカレーは野球部化ラグビー部がいうには、中華丼とかと一緒でどんぶりものだから丼をつけるんだよと「スタカレ丼(言いにくい)」が正しいということだよ。浦和の人は「スタカレー」、大宮の人は「スタカレ丼」が正しい。なぜなら当時、浦和市と大宮市はなんでも張り合っていたからだよ。僕らも背中に大宮という看板を背負っていたので浦和には負けるわけにはいかなかった、このくだりはまた別の機会にお伝えしましょう。